人の言葉の重み

ちょっと忙しかったのと、体調が良くなくて

なかなかblogを書けませんでした。

 

人付き合いが苦手で、SNSも苦手な私には

blogは結構ハードルが高いです。

 

言葉の影響力を考えると

あまり気ままに書いてもいけないと思います。

 

今日は、そんなお話を。

 

子供のころから、趣味嗜好がほかの人と合わないので

皆と一緒にはならないことにあきらめのような気持ちがあり

分かってもらえる人がいてくれれば、それでよくて

分かってくれない人は、それで良いと気にしないようになりました。

 

小学生の愛読書が、古事記、平家物語

源頼朝が好きです。

好きなアーティストは、ベートーベン

ムーンライトソナタが、大好きでした。

って、誰もわかってくれませんでした。

 

よく、私も!とか、一緒に行く!と、連れ立って行動することが

私は好きではありません。が、あまりそれを表に出すといけないので

時々、我慢しておとなしくしています。(笑)

日本人は比較的グループ行動が好きだと思います。

 

そんな私を慕ってくださる方は大変貴重な存在なので

長くお付き合いしています。一番古い友達は

小学校3年生の時の同級生です。

親同士も知り合いで友達でした。

 

浅く、広い知り合いが沢山いる事より

少なくても、長く付き合える友達がいてくれることは

物凄く幸せな事だと思っています。

 

結婚して、出産して、旦那さんの出張で転勤して、と、

女の人はその時々で大変ですが、今でもずっと長く続いている友達とは

ずっとこまめに連絡したり、会っていたわけではありません。

でも、何かあると、連絡したり、移動したらお知らせしたり、と、

連絡は取り合っていたので、何年かブランクがあってもまた昔の様に、戻れました。

 

今は無理でも、また時がくれば会ったり、今だとメールでのやり取りもできると思います。

私は、そんな友達を大切にしたいと思います。

 

友達だけではなく、生徒さんやこのサイトで知り合ったお客様も同じで

こんな私を、受け入れて理解して下さり、ほとんどの方達とは長くお付き合いさせていただいています。

本当にありがたいと思います。

 

約20年前に、私は子宮内膜症になりました。

 

その時、仕事もできなくなり

会社も辞めて何もできなくなり

絶望の中、

 

当時、大阪府高石市で、結婚して5年目でした。

離婚した前主人の姑から

 

(私は、再婚しています。)

 

「病気を隠して結婚したんやろ、子供好きなうちの息子なのに

どうしてくれる!あんたの親もそういう病気やから、あんたも

そうなったんや!」

(その当時のことばのままです。関西弁を修正していません)

 

と、泣いて、病気の事を説明している私に浴びせた言葉を

いまだに忘れられません。

 

私は、むしろ良性の腫瘍ではなく悪性であればよかったのに、とさえ

思いました。

 

それからは、

「あんたはどうでもよいけど、うちの子にご飯はちゃんと作っているのか?」

と、渡る世間は鬼ばかり、が好きだった姑は、人の事は言うくせに

自分はどうよ?と言いたくなるような事を平気で私に言い続けました。

 

全て私が悪くて責められる一方でした。

 

誰も味方してくれませんでした。

 

前夫も、同じく

「早く子供を産まないからこうなった」

と、私を責めました。

 

そのうち、精神的におかしくなりました。

 

そんな時に救ってくれたのが、高校時代からの友達でした。

もちろん彼女とは今も友達です。

 

一緒に心療内科にいってくれて

話を聞いてくれました。

 

そして、自分が悪くないことがわかり、離婚することを決めて

準備をすることにしました。

 

両親にもこのことを全て話し、いつでも帰って来いと言ってくれました。

とりあえず貴重品や身の回りの物を少しずつ運びました。

 

自立するために何か技術を身につけたいと思い

カルチャースクールでネイル講座があり、受講して

先生から、プロになる事をすすめられ、学校に通う事にしました。

 

色々なネイルスクールがありましたが、小さな学校で

生徒が少なく、ほとんど私だけで受けられる学校に行くことにしました。

先生は、私の病気の事をわかってくれて、体調が悪いときは

無理しなくてよいと言ってくれました。

 

なんだか、生きる希望が出来たように学校に通い

毎日練習し、できるだけ学校で過ごすようになりました。

そのせいで、3か月で卒業してしましました(笑)

 

先生には、もう来ないでよいから、働いてください。

と、就職先まで、決められていました。(笑)

 

病は気から。また、就職できるようになるとは

思っていませんでした。

 

いまでも、その先生とはお付き合いしています。

先生も結婚されて、苗字が

高木、になり、

電話すると

お互いに

 

「高木です」

「高木です」

と、名乗りあいます。(笑)

毎回、もういいから(笑)

 

数年後、先生とジェルを広める仕事、講師として

活動するようになりました。

 

離婚して、ネイルの仕事もしていましたが

独り身になったので海外に行って仕事しようと思い

英会話学校に通うことにしました。

 

やっぱり、アパレルの仕事が好きなので

戻りたいと思っていました。

 

堺の個人で月謝制の学校に通う事にしました。

その学校で今の主人と出会いました。

主人も離婚していたので、お互い分かり合えることが多く

お付き合いするようになりました。

 

私は、まず、病気の事を話しました。

 

彼は、子供はいらない、関係ないと言ってくれました。

そして、一度、一緒に実家(広島)に行かないか、といわれました。

そこで

彼の両親に会う前に手紙を書きました。

 

離婚した原因が私の病気にあり、子供が産めない病人の私と

わざわざ、再婚することはないと、自分でも思うので

それが困るのであれば、反対してもらって構わない。

お別れします。

と、書きました。

そうなっても、私は責めないですし、当然のことだと思う

とも書きました。

 

しばらくして、お返事をもらい

「子供の事は気にせず、早く籍だけでもいれて扶養家族になり、ゆっくりしたらよい。

洋恵ちゃんは何もしなくてよいから」

と、いってくれました。

 

病気を告白して、こんな風に言ってくれる人もいるんだと

本当にうれしかったです。

 

つらい経験をしたら、どん底に落ちますが

だからと言って、くじけず、正しい事をしていれば

必ず良い方向に向いてくれる、と、私は体験しました。

 

今の仕事をしていると、個人の作品の評価ですから

作品で勝負だと思うのですが、

私の事を悪く言う人や、やっかむ人もいます。

 

私は自ら売り込みや、人にこびて、

取り上げてもらうようなことはしていません。

 

人付き合いが下手で、そういう世渡り上手なことはできませんし

男の人にも、甘えたりお願いしたりできません。

 

わたしをよく知る人は、男より男らしい!と言われます。

 

本当にわかってくれる人がいてくれて

必ず、助けてくれます。だから

自分も、頼ってくれる人には、できることは、何でもしたいし、

困っている人は助けたい、そう思うようになりました。

 

全ての人から好かれようとすると、どうしても無理が出てしまいます。

自分にも、正直ではいられないと思います。

 

私は、そのままでしかいられないので、この性格を修正することは

できません。

 

自分が好きな作品を作り

それを好きと言ってくれる方を、大切に思い、

私を頼りにして下さる方には

出来る限りの事をしたい、そう思います。